ある講演を聴いて…
今まで、この歳になるまで、いろんな音楽を聞いて感動することは多々ありましたが、あらゆるジャンルの偉人や名誉職のある方の講演などで、話(言葉)で、心に響き、また涙が浸透するくらい感動することはほとんどありませんでした。
連日の曇り空から一転、やっと春らしさが体感できた先日のこと、僕はある式典に参列していました(プライベートなことなので詳しくは割愛)。名誉ある高名な方々の式辞は、オキマリ的な退屈なものでなく、とても意味の深い実用的な話題で引き込まれましたが、それにもまして、ここで書かずにはいられなくなってしまったのは祝辞を述べたF准教授のお話です。
氏は海外のメディアからは松井秀喜、坂本龍一、オノ・ヨーコ、朝青龍らと並ぶ「アジアのヒーロー」として注目されている人でありながら、自分はほとんど存じ上げない方でした。音楽の世界だけに浸っていると、他の分野の見識を見失いがちだと改めて反省した次第…。
氏は、病気のために9才で失明、18才で耳が聞こえなくなってしまった盲ろう者です。見えない、聞こえない…一般の人には理解しようがない極限状況でしょう。氏曰く「あのヘレン・ケラーさんと同じと言えば少しはわかってもらえるかもしれません」…。つまり自分で喋っている声さえも聞こえていないのでしょう。おそらく自分のハイトーンの声を体内、骨などで響かせているのではないか、と想像するのがやっとです。
僕がここで言いたいのは、こんな想像を絶する重い身体ハンデを背負いながらも、努力の末、世界的にも評価される高い地位を得たというような美談ではありません。
氏の失明以前の幼少期の思い出としてあげていたのが、人類の歴史的な出来事とも言える「アポロの月着陸のTV映像」。この歴史的瞬間に強い感動を受け、失明後もその場面は脳裏に焼き付いていたようです。その後、耳も聞こえなくなってしまうと、まるでアポロからの映像のように、宇宙の暗闇のかなたに一人放り込まれて孤独になった…、と述べていました。目も耳も最初は健全だったわけですから、なおさら、この苦しみは増してくるのではないでしょうか。
しかしながら、本当につらく苦しめられたのは、見えない、聞こえない、ということよりも、人とのコミュニケーションが閉ざされてしまったことだと。自分が喋っていても相手の反応がまったくわからない…。
こんな状況を克服すべく、母親とともに指に点字を打つ「指点字」で相手の言葉を認識しながら、しゃべったり、答えたりする術を身に付けていきます。まさに指先がつなぐ愛、やはり母親の力は偉大でした。
「指点字」…詳しくはわかりませんが、体から発する気持ちを指先で伝える、これを僕なりに解釈させてもらうのを許してもらえるのであれば、音楽にも通じる体でリズムを取りながら一緒にアンサンブル演奏する感覚と何かイメージが近いのかもしれません。
氏は、以後、勉学の道に目覚めるようになります。そのきっかけのひとつはやはり幼き頃見た宇宙の映像にあったようです。当時、このような重い障害者が高校、大学に進む前例がなかったようですが、「前例はおまえが作ればいい」という当時の先生の助言もあり、盲ろう者としては世界で初めて大学の教員になり、それ以後、多くの困難を乗り越えながら、研究に励み、一心不乱に邁進し、功績を重ねながら障害者という立場を超えた次元で評価され現在に至ります。そこには不純な野心なんてひとカケラも持たずに、自分の弱点をプラス方向に向けながら真の研究を追い求めた結果とも言えるのでしょう。もちろん、氏の活躍は同じ障害を持つ多くの人にも大きな力と勇気、前向きな人生観を提示したのは言うまでもありません。
「前例は自身で作る」、これは、これからの若者へのエールとしてはとてもすばらしいキーワードになったことでしょう。また、コミュニケーションが不足すると、心も窒息してしまう、つまりコミュニケーションは“心の酸素”である、というようなことも述べています。
壇上での言葉の抑揚は、むろん、一般の人とは違います。でも、とても明るく自信に満ちています。ひとつひとつの言葉は氏の体から何のフィルターも飾りもなくストレートに発っせられ、そこにはものすごい力強い説得力があります。ここでは書ききれない話題やときにはユーモアな話(「私は宇宙人になりたかった。メアドはE.T.なんです」…)などもあって、気がつけば氏が障害者であることをすっかり忘れてしまいました。きっとアポロの映像に釘付けになった頃のピュアな気持ちは、学者になってもそのまま抱かれ、多岐に拡張されていったのでしょう。氏の話は我々とは別次元の話ではなく、自分自身の心のあり方などを側面から正された思いもしています。
講演の最後は、コミュニケーションの大事さを再度唄って締めくくられました。心からの満場の拍手は氏の体に響いて頂けたらと願ってやみません。